今日もおつかれさまです!

のんびりと、でも着実に生きたい

家族という虚構

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Have a nice day😆#haveaniceday #happybirthday #flower #花

 

こんにちは(^○^)

今日はどんな1日でしたか?お疲れ様です!

 

さて、そろそろ年末ですね。年末といえば、帰省して家族団欒で紅白歌合戦、というのが典型的な「日本の家族」の過ごし方といったところでしょうか。(古いかな?)

 

毒親育ちさんにとっては頭の痛い、ストレスフルな時期かもしれないですね...

ちなみに私は、親と絶縁していて実家がないので、行くところがなくて毎年一人で楽しく過ごします。(「帰省は?」という質問にどう答えようか困ってますが笑)

 

ところで、家族って何なんでしょうね。考えてみれば不思議ではありませんか?父親だって、極論すれば生物学的な意味では本当の父親かなんてDNA鑑定しない限り、わからないんですよ。

 

生みの親と育ての親が最初から最後まで一致していれば信じやすいけれど、そうでない場合、家族とは一体誰のことで、何が家族を家族たらしめているのでしょうか。

 

私は全ての肉親およびきょうだいと生別しており、弟だけは今も連絡を取り合う仲ですが、離れて暮らしていた時期が長く、姉弟という実感は正直あまりありませんし、性格なども正直よく知りません。

 

だから、私にとっては「人はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく」という方が断然しっくりきます。

 

「家族」というのは私にとっては一つの概念でしかありません。何の実体もない、フィクションです。

 

宗教に対して、「作り話だ」「そんなものは信じられない」という反応をする方もいらっしゃると思いますが、私にとっては宗教の方がまだ信じやすいのです。

 

神様を何らかの方法で実際に観測し、存在を確認することは非常に難しいと思いますが、自分の肉親が「家族」ではないという事実は、はっきりと見てしまったからです。

 

血縁関係は揺るがないものだと思われるかもしれませんが、そもそもその「血縁」が本当に存在しているかはDNAを調べない限り分かりません。

 

また、たとえ一緒に暮らしていても、例えば「家族」のあるメンバーを「もう家族じゃない」と言い(例えば離婚)実際に手続きをすれば、本当に家族ではなくなります。そこまでしなくても、あるメンバーを「この人は家族ではなくて、召使いだ」と思って生活していれば、そのメンバーは本当に召使いになります。

 

だから結局のところ「家族」は仮想空間に過ぎないのだと思います。あると思えばあるし、ないと思えばない。その意味で、「家族」は宗教や神様といった概念と同列です。

 

もしかしたら、もっと大昔の人間は全然異なった家族観を持っていたかもしれません。集団で生活し、一夫一妻制がなかったらそもそも誰の子かわからないので、「グループみんなが家族」という考えになるかもしれません。

 

しかし、生きていく上で帰属意識(心の拠り所)というのはとても大切であるように思います。そして、私にはそれが決定的に欠けています。

 

だから、そこを神様の愛で満たして欲しい、と思ってキリスト教によりついているのが本当のところです。

 

やはり心の拠り所と思えるものがないと、自分のちっぽけさをひたすら感じて虚しくなるだけで、心の弱い私にはとても生きていけません。

 

人間は虚構(ストーリー)を信じる生き物です。だから、家族という虚構がもし壊れてしまっても、別の虚構に乗り換えればいい話なのではないでしょうか。

 

そもそも実体の無いものなのだから、自分に合わなければ、考え方を変えて世界観を変えてしまえばいいのです。

 

これが、家族の問題に対する今の私なりの答えです。

(10年・20年先に、一周回ってまた新しい家族を作っていたら、しょうもなくて面白いですけどね笑)

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

寒いので、暖かくしてお過ごしくださいね(^_−)−☆