今日もおつかれさまです!

のんびりと、でも着実に生きたい

ゆるく生きていこう

コロナ禍で生活や仕事のスタイルが変化する中ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 

私は今仕事がない状態で、とても暇です。

 

会社員なので仕事も収入もあるのですが、厳密に言えば出社が制限される中で仕事内容がない、ということです。

 

これだけ暇だと、もっと何かしたほうがいいのではないか?語学、ビジネススキルアップなどなど...と気持ちも焦ってきますが、怠惰な私はこれといって何もせず、ただ暇しています。

 

空いた時間は勉強とも仕事ともつかないような作業をして時間をつぶし、在宅の9時ー5時を何とか乗り切っています。

 

私は怠惰な人間です。何事もほどほどに、ゆるくやるというのをモットーに生きています。

勉強や家事はしたいときには頑張るけれど、やる気が起きないときにはやらないです。

 

周りにはすごく努力家で優秀な人もいるので、ついつい比べてしまいそうになりますが、私は自分のこんなゆるくていい加減なところが人間らしくて好きなのです。

 

嫌なところからは逃げていいし、やりたくないことはしなくていい。当たり前のことかもしれないけれど、人間らしく生きるためにとても大切なことのように思います。

 

何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

 生まれる時、死ぬ時

 植える時、植えたものを抜く時

 殺す時、癒す時

 破壊する時、建てる時

 泣く時、笑う時

 嘆く時、踊る時

 石を放つ時、石を集める時

 抱擁の時、抱擁を遠ざける時

 求める時、失う時

 保つ時、放つ時

 裂く時、縫う時

 黙する時、語る時

 愛する時、憎む時

 戦いの時、平和の時。

人が労苦してみたところで何になろう。(旧約聖書 コヘレトの言葉3:1-9)

 

今は、社会の状況から考えてもバリバリ頑張るべき時ではないでしょう。

人と関わることの大切さ、休息の必要性、苦しんでいる人のために祈ることなど、今回のことを通して神様が教えてくれていることはたくさんあると思います。

 

社会の状況だけでなく、自分が心理的に頑張れる・頑張りたいと思うかどうかも含めて、神様がお決めになることだと思うのです。

 

気持ちが向いていないのに無理に何かしようとすると、心理的に莫大なエネルギーが必要になり、ひずみが生じてしまいます。

だから時には、流れに身を任せておけば良いのだと思います。

もっとも、こんな考え方では成功者にはなれないかもしれないですが。

 

最近、芸能人の自殺が報じられ、女性や若者の自殺も増えていると聞きます。

一般人の自殺は経済的な苦しみが大きな理由であるようですが、その理由の中にはコロナの影響で仕事が減り、やりたいことができなくなって「私は一体何をしているのだろう」というフラストレーションも含まれているのではないでしょうか。

 

私も同じようにフラストレーションを感じていますが、だからこそ「何もしなくても大丈夫」と言いたいです。

 

誰にも会えなくても、ただ寝ているだけでも、全然大丈夫です。

何もしていなくても、あなたの存在価値がなくなるようなことはない。

 

今はゆるーく毎日を過ごして、生きて乗り切りましょう。

そしてまた頑張れそうな時が来たら、その時に頑張れば良いのです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今日あなたが素敵な一日を過ごされますように。

逆境の教え

The Teaching of Adversity

 

In the world you will have tribulation; but be of good cheer, I have overcome the world.  JOHN 16:33

 

The typical view of the Christian life is that it means being delivered from all adversity. But it actually means being delivered in adversity, which is something very different. “He who dwells in the secret place of the Most High shall abide under the shadow of the Almighty. No evil shall befall you, nor shall any plague come near your dwelling…” (Psalm 91:1,10)― the place where you are at one with God.

 

If you are a child of God, you will certainly encounter adversities, but Jesus says you should not be surprised when they come. “In the world you will have tribulation; but be of good cheer, I have overcome the world.” He is saying, “There is nothing for you to fear.” The same people who refused to talk about their adversities before they were saved often complain and worry after being born again because they have the wrong idea of what it means to live the life of a saint.

 

God does not give us overcoming life― He gives us life as we overcome. The strain of life is what builds our strength. If there is no strain, there will be no strength. Are you asking God to give you life, liberty, and joy? He cannot, unless you are willing to accept the strain. And once you face the strain, you will immediately get the strength.

 

Overcome your own timidity and take the first step. Then God will give you nourishment― “To him who overcomes I will give to eat from the tree of life…” (Revelation 2:7). If you completely give of yourself physically, you become exhausted. But when you give of yourself spiritually, you get more strength. God never gives us strength for tomorrow, or for the next hour, but only for the strain of the moment. Our temptation is to face adversities from the standpoint of our own common sense. But a saint can “be of good cheer” even when seemingly defeated by adversities, because victory is absurdly impossible to everyone, except God. From My Utmost for His Highest Updated Edition

Bible in One Year: Psalms 60-62; Romans 5

 

WISDOM FROM OSWALD CHAMBERS

God engineers circumstances to see what we will do. Will we be the children of our Father in heaven, or will we go back again to the meaner, common-sense attitude? Will we stake all and stand true to Him? “Be thou faithful unto death, and I will give thee a crown of life.” The crown of life means I shall see that my Lord has got the victory after all, even in me.

 

 

<聖書箇所引用>

「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」

ヨハネによる福音書 16:33

 

「いと高き神のもとに身を寄せて隠れ 全能の神の陰に宿る人よ

あなたには災難もふりかかることがなく 天幕には疫病も触れることがない。」

詩篇91:1,10

 

「耳あるものは、”霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」

ヨハネの黙示録2:7

 

<日本語>

 

逆境の教え

 

「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」

ヨハネによる福音書 16:33)

 

クリスチャンはあらゆる逆境から救われた人たちである、というのが典型的な見方です。しかし、実際には逆境の中にありながら救われているのであり、これは非常に異なるものです。

「いと高き神のもとに身を寄せて隠れ 全能の神の陰に宿る人よ

あなたには災難もふりかかることがなく 天幕には疫病も触れることがない。」(詩篇91:1,10)

―ここで言う「天幕」とは、あなたが神と一体になる場所のことです。

 

あなたが神の子供であるならば、確かに逆境に遭遇するでしょうが、イエス様はそれが来た時にも驚くことはないと仰っています。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」神様は「恐れることは何もない」と仰っています。以前は逆境について話すことを拒んでいた人々が、洗礼を受けてからそのことについて不平を言ったり心配したりするようになります。なぜなら、彼らはキリスト者としての人生について勘違いをしているからです。(彼らは洗礼を受ければ苦難から救い出されると信じていたのに、実際受けてみたらそうではなかったから)

 

神様は私たちに全てを克服する命を与えてはくださいません―神様は私たちが困難を克服することができるように命をお与えになります。人生における緊張は私たちの強さを構築するものです。緊張がなければ、力はありません。あなたは神にあなたに命、自由、そして喜びを与えるように求めていますか?あなたに困難を受け入れる意思がない限り、神様はそれらをお与えになることができません。そして、実際に困難に直面すると、すぐに強さが得られます。自分の臆病さを克服し、最初の一歩を踏み出しましょう。そうすれば神様はあなたに糧をお与えになります。「勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」(黙示録2:7)自分を完全に肉体に委ねれば、疲れ果てます。しかし、霊に自分を委ねれば、あなたはより力を得ます。神様は私たちに明日や次の1時間の力を与えるのではなく、その瞬間だけに力を与えてくださいます。私たちは自分の常識で逆境に直面しがちです。しかし、キリスト者は逆境に打ち負かされているように見えても、「勇気を出す」ことができます。なぜなら、最後に勝利される方は神を除いて他にいないからです。

 

オズワルド・チャンバーズの知恵

神は私たちが何をするかを見るために状況を作り出します。私たちは天の父の子供になるのでしょうか、それとも卑劣で世俗の常識的な態度に戻るのでしょうか?

私たちはすべてを賭けて、神に忠実になるでしょうか? 「死ぬまで忠実でいなさい、そうすれば私はあなたに命の冠を授けよう。」命の冠とは、自分自身の中でさえ、結局のところ、主が勝利するということです。

 

<Words and Phrases>

psalm: 賛美歌、詩篇

befall: ~に起こる、降りかかる(happen to)

plague: 疫病、災害、呪い

tribulation: 艱苦、苦しい試練

saint: 聖人、神の選民、キリスト教

timidity: 臆病、小心、内気

nourishment: 滋養物、食物

absurd: 不合理な、非常識な

absurdly: 信じられないくらい

今回も、難しい単語が多かったです(^_^;)

 

<感想>

今回は「逆境(困難)」がテーマでした。

コロナ禍のただ中にある現在にぴったりの内容ですね。

 

後半の「自分を完全に肉体に委ねれば、疲れ果てます。しかし、霊に自分を委ねれば、あなたはより力を得ます。神様は私たちに明日や次の1時間の力を与えるのではなく、その瞬間だけに力を与えてくださいます。」という部分ですが、「肉体に自分を委ねる」とは、自分の健康や強さ、賢さにより頼み「強く」あろうとする態度のことだと解釈しました。

 

いわゆる実力主義的な考えであり、世間では一般的な生活態度だと思いますが、今回の説教の中ではそれを「疲れきってしまう」と言っています。

 

コロナのことで言えば、感染症に負けない身体を作りたいと思ったり、正確な未来予測や予防の指針を求めることにつながるでしょう。

 

しかし、どんな対策を行っても感染することはあり得るし、結局のところ人間には全てをコントロールすることはできないのです。

 

人間の知力・体力だけで制御できると思い込んで努力すればするほど、限界が見えて疲れ切ってしまったり、感染した人を努力や我慢が足りないと言って責めたりすることになってしまいます。

 

最近では東京だけでなく地方でも感染が広がりつつあり、東京から帰省した方に対する誹謗中傷が問題になっています。

 

これも、心理的に「疲れきって」おり、心がささくれ立っていることの表れだと思うのです。

どんなによい人であっても、疲れきった状態でも優しさを発揮するのは容易ではないはずです。

 

だから、今こそ自分自身の力により頼むことをやめ、神に委ねることで安らぎと強さを得ようというのが、今回のメッセージでした。

 

信仰とは、暗闇の中でも光を見ることだといいます。

データを見て明らかに示されているから安心なのではなく、何のデータもなく、先行き不透明なのに「大丈夫」と思うことは、信仰がなければ不可能なのです。

コロナ太り撃退!ダイエットのためにしていること10個まとめ

今日も暑いですね(^^;;

クーラーのきいた部屋で過ごせる恵みに感謝しつつ、外に行かなければならない方の健康が守られますように、お祈りします。

 

コロナで外出を控える生活が続き、太ってきたのでダイエットを始めました。

ダイエットのために最近やっていることや、以前から続けている習慣をまとめました。

少しでも参考になれば嬉しいです(^^)

 

☆ダイエットのためにしていること10☆

1. 水をたくさん飲む

2. 手作りダイエットドリンクを飲む

3. 毎日体重を測る

4. ダイエットノートを作る

5. 活動量を落とさない

6. 有酸素運動&筋トレ

7. 脚マッサージ

8. 半身浴

9. ごはんをゆっくり食べる

10. 腸内環境を整える食事

 

 

1. 水をたくさん飲む

ジュースではなく、ただの水をこまめに飲むことがポイント!

水を飲まないと、身体が水を溜め込もうとしてむくみやすくなってしまうそうです。

ただの水は飲みづらいという方も、だんだんと慣れるみたいですよ。

 

2. 手作りダイエットドリンクを飲む

私が最近飲んでいるのは、レモン水(水コップ1杯+大さじ1杯のレモン汁)と、お酢ドリンク(リンゴ酢大さじ一杯+ラカントシロップ大さじ一杯)、そしてアイスコーヒー(ブラック)です。

いずれも脂肪燃焼効果や代謝アップの目的で飲んでいます。

 

3. 毎日体重を測る

前に8kgのダイエットに成功した時にやっていて、今も続けています。

体重は最近少し増えてしまったのですが、「増えた」ことにすぐ気付けて対策できるので大事だと私は思います。

 

4. ダイエットノートを作る

これは、昨日思いついて始めました笑

毎日食べたもの、体重、日記、運動内容を書いています。

その他にも、最近栄養の勉強をしているので勉強ノートのページも作っています。

いつまで続くかな…

 

5. 活動量を落とさない

コロナ禍の中ではこれが一番難しい課題ではないでしょうか。

私は特に引きこもり気質があって、外も暑いとなると一日中家でダラダラしがちなので、涼しい時間に散歩するなどしています。

 

6. 有酸素運動&筋トレ

30分の有酸素運動+筋トレ+ストレッチを毎日夕方頃に行っています。

Youtubeの動画を見て運動することが多いです。

筋トレやストレッチは、好きな音楽を聴きながらやるとあっという間に終わりますよ。

 

7. 脚マッサージ

Youtubeでモデルのぺこちゃんがやっていた脚マッサージ動画を参考に毎日やるようにしています。

いい香りのボディクリームを使えば香りに癒されますし、脚の保湿にもなって一石二鳥です☆

 

8. 半身浴

ドラッグストアで好きな入浴剤を買って、30分〜1時間ときどきやっています。

錠剤タイプの炭酸レモンの入浴剤が夏にぴったりでした!

入浴剤はいろいろな種類があるので、選ぶのも楽しいです。

 

9. ごはんをゆっくり食べる

私は早食いなので、よく噛んで食べることが苦手です(^^;;

一人で食べるときは、早食いにならないようにYoutubeでハワイアンミュージックをかけて、波の背景を見つめながらリラックスして食べるようにしています。

 

10. 腸内環境を整える食事

水溶性食物繊維である海藻やきのこ、発酵食品や果物が腸内環境に良いと聞いたので、朝は玄米ご飯、納豆、キムチ、なめことワカメの味噌汁、季節の果物にしています。

便秘がちでしたが、この朝ごはんにしてからお通じがとても良くなりました!

 

 

最近は停滞期で、運動しても体重が全く変わらなくて萎えそうなのですが、くさらずに頑張ろうと思います。

肥満体型ではないので、とりあえずは痩せることよりも体質を改善してより健康になることを目指していこうと思っています!

目標は今より6kg落とすことです!!

いつまでかかるかな…笑

 

 

毎日お祈りをしたいけれど…

今朝も、外を散歩してきました☆

小雨が微妙に降る中、朝も早かったのでほとんど人はおらず、その静かな朝の空気がまた良いなと思いました。

 

今日は「お祈り」について書きたいと思います。

 

キリスト教信者としては「祈る」ことはとても大切です。

祈りは色々な場面で行われます。

日曜日の礼拝で牧師さんや司式者の方と一緒にする祈り、礼拝とは別の祈祷会で信徒の方々と一緒にする祈り、食前の祈り(あんまりしたことないけど笑)、家で一人でする祈りなど。

 

どれも違った意義を持っていますが、やはり自分の信仰を深めるのに最も有効なのは、自分一人でするお祈りだと思います。

身の回りや世界、自分自身のことに思いを馳せて、神様にお祈りをする時間が持てるとしたら、大きな恵みです。

 

私は、一人暮らしのときは毎朝聖書を読み(これはサボるときもある)、お祈りをしていました。

 

でも今はノンクリスチャンの同居人がいて、なかなか落ち着いてお祈りをすることが難しくなってしまいました。

 

起床時間が違うので、彼が寝ている間にしてみたりしたのですが、彼に見られていないか気になってしまい、どうも落ち着いてできないのです。

 

彼がキリスト教を信仰しているとは思いませんが、礼拝には一緒に来てくれるので、もし私が祈る姿を見ても嫌な気はしないでしょう。

そもそも、お祈りは恥ずかしいことでも何でもないので、私も人目は気にしなくて良いはずなのですが、やはり何だか恥ずかしい気がしてしまいます。

 

私はとてもシャイな性格で、写真を撮られるのも苦手だし、人に聞かれたらと思うと恥ずかしくて家で鼻歌も歌えないのです(音痴ではないはずですが)。

 

そういうわけで、最近だんだんとお祈りをしなくなってしまい、これはいけないと思っていました。

 

そして編み出した(?)のが、ブログ上でお祈りをする方法です。

パソコンに向かっていれば、傍目からは何をしているのかわかりません。

 

もしこのブログを見てくださる方がいて、私の祈りが目に止まって、少しでも共に祈るような気持ちになってくださればとても嬉しいです。

 

あと、もし「祈るって何?何を祈ったら良いかわからない」という方がいれば、一例として参考になるかもしれません。

 

キリスト教のお祈りには一応テンプレートがあります。

具体的には、最初と最後に言う言葉がだいたい決まっています。

もちろん、テンプレートなんて無視していても神様は変わらず聞いてくださると思いますが、特に初心者なら「自由にやる」というのが一番難しくて、形式が決まっている方が安心だと思うのです。

 

私も最初は全然よくわからなくて、教会の祈祷会で信徒の方の見よう見まねで覚えました。

ネットで調べても、そんな基本的なところまで解説しているサイトがなかったので。

 

お祈りをしたいと思っていても、生活スタイルなどの原因でしづらいこともあるかと思います。

 

お祈りのやり方に決まりはなく、神に祈る心さえあればどんな場所や形式でも構わないと思っています。

大事なのは、毎日続けることですね!

 

☆お祈り☆

天の神様。

今日も私を生かしてくださって、ありがとうございます。

今朝、静かな時間を与えてくださり、ありがとうございます。

コロナの感染拡大が続いております。

たくさんの命が失われたことを思うと、心が痛みます。

今もなお感染の危険にさらされながら生活しなければならないことを考えると、不安です。

仕事がなくなり、生活が脅かされている方がたくさんいます。

どうか、必要な支援が速やかに届きますように。

私にできることがあれば、どうか用いてください。

不安と悲しみの中にあっても、神様が最も良い道を用意してくださっていることを信じることができますように。

御心が行われるために、些細なことでもどうか私を用いてください。

この祈り、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げします。アーメン。

神様の言葉をもっと理解するためには?

オズワルド・チャンバーズによる今日の説教です。

 

The Way to Knowledge


If anyone wills to do His will, he shall know concerning the doctrine… JOHN 7:17


The golden rule to follow to obtain spiritual understanding is not one of intellectual pursuit, but one of obedience. If a person wants scientific knowledge, then intellectual curiosity must be his guide. But if he desires knowledge and insight into the teachings of Jesus Christ, he can only obtain it through obedience. If spiritual things seem dark and hidden to me, then I can be sure that there is a point of disobedience somewhere in my life. Intellectual darkness is the result of ignorance, but spiritual darkness is the result of something that I do not intend to obey.


No one ever receives a word from God without instantly being put to the test regarding it. We disobey and then wonder why we are not growing spiritually. Jesus said, “If you bring your gift to the altar, and there remember that your brother has something against you, leave your gift there before the altar, and go your way. First be reconciled to your brother, and then come and offer your gift” (Matthew 5:23-24). He is saying, in essence, “Don’t say another word to me; first be obedient by making things right.” The teachings of Jesus hit us where we live. We cannot stand as impostors before Him for even one second. He instructs us down to the very last detail. The Spirit of God uncovers our spirit of self-vindication and makes us sensitive to things that we have never even thought of before.


When Jesus drives something home to you through His Word, don’t try to evade it. If you do, you will become a religious impostor. Examine the things you tend simply to shrug your shoulders about, and where you have refused to be obedient, and you will know why you are not growing spiritually. As Jesus said, “First…go….” Even at the risk of being thought of as fanatical, you must obey what God tells you.

From My Utmost for His Highest Updated Edition
Bible in One Year: Psalms 43-45; Acts 27:27-44


WISDOM FROM OSWALD CHAMBERS
We never enter into the Kingdom of God by having our head questions answered, but only by commitment.
from The Highest Good—Thy Great Redemption 

 

<聖書箇所引用>

ヨハネによる福音書7:16~18

エスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。

 

マタイによる福音書5:23~24

だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰ってきて、供え物を献げなさい。

 

 <日本語訳>

知識への道

「この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。」(ヨハネによる福音書7:17)


精神的な理解を得るためには、頭で理解するのではなく心で従うべきであるというのが黄金律です。もし科学的知識を求めているなら、知的好奇心が導いてくれるはずです。しかし、イエス・キリストの教えに対する知識と洞察を望んでいるなら、それは従順を通してのみ得ることができるものです。霊的な事柄が暗く隠されているように思えるなら、人生のどこかに不従順な点があるということです。知的な意味での暗闇は無知の結果ですが、精神的暗闇は不従順の結果です。


神からの言葉を聞いても、すぐにそれが真理だと確信するような出来事が起きなければ、誰もその言葉を受け取りません。私たちはそれに従わず、それでいて後になってからなぜ霊的に成長していないのか疑問に思うのです。イエスはこのように言わました。「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰ってきて、供え物を献げなさい。」(マタイによる福音書5:23~240)要するに、神様は「つべこべ言わず、まずは従順になって物事を正しくしなさい。」と仰っています。イエス様の教えは私たちが生きている状況にぴったりと当てはまるものです。私たちは何もごまかすことができません。神様は細部に至るまで、全てを私たちに指示されます。神の霊は私たちの自己弁護の精神を明るみに出し、私たちがこれまで考えたこともなかったことに対して敏感にさせます。


エス様が御言葉を通して何らかの行動をやめさせようとされたとしても、それを避けようとしないでください。もしそこで避ければ、あなたは偽りの信仰を持つことになります。何に対して肩をすくめたり従順を拒否したりしたかを考えてみれば、霊的に成長していない理由がわかります。イエス様は「まず行きなさい」と言われました。たとえ周囲の人々から狂信的だと見られても、神があなたに言われたことには従わなければなりません。

 

オズワルド・チャンバーズからの知恵
私たちは頭で考えて質問に答えることでは神の王国に入ることができません。

献身によってのみ、それが可能です。

 

<Words and Phrases>

imposter:詐欺師
alter:祭壇
self-vindication:みずからの嫌疑を晴らすこと
vindication:弁護、正当化
evade:逃げる、のがれる
shrug:(肩を)すくめる

 

<感想>

今回のメルマガ説教のテーマは「神に従順になること」でした。

私は、正直なところキリスト教に関して分からないことが多く、聖書を読んでもすぐには意味がわからないし、このような従順さがあまりないと思います。

御言葉を読んだとき、字面を見れば理解はできるけれども深いレベルでは腑に落ちないことがあります。

それは、もしかしたら理解できないのではなく、自己弁護の心から、何か見ようとしていないものがあるからなのかもしれませんね。

素直な心で神様の言葉を受け取れる人でありたいです。

朝の散歩

最近またコロナ太りで体重が増えてきてしまったので、ダイエットのために今日から朝のウォーキングを始めることにしました。

 

今日は朝6時に起きることができたので、30分くらい近所をあてもなく散歩しました。

蒸し暑い中歩くと身体も温かくなってきて、良い運動になりました(^^)

 

体重は少し増えてきたときに気づいてダイエットするのが良いと思います。

以前、太ってきたかもと思いつつ体重を測らずにいたら8キロも太ってしまったので、その反省です(^_^;)

 

私は在宅勤務をしているのですが、ずっと家にいると活動量がかなり落ちてしまうので意識して運動しないとどんどん太ってしまいますね…

 

散歩の帰り、アパートの隣の部屋から卵料理の良い香りがしました。

卵焼きでしょうか、それともオムレツでしょうか。

朝ごはんの香りで、幸せな気持ちになりましたo(^_^)o

 

☆お祈り☆

天の神様。

今日も私を生かしてくださって、ありがとうございます。

今朝は豊かな散歩の時間を持つことができました。感謝します。

今日1日、良い仕事をし、主のために働くことができるよう、愛と力を与えてください。

コロナウイルスで苦しんでおられる方々に、御守りと救いがありますように。

集中豪雨で被害に遭われた方々に、復興のための力をお与えください。

この祈り、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げします。アーメン。

 

4連休

今日も、雨が強いです。

今年は梅雨が長くて、雨の日ばかり続きますね。

 

この4連休は東京のコロナ感染者数はどんどん増えているし、天気も悪いので家でゲームしたりYoutubeを見たり…

GWもこんな感じで過ごしていましたが、8月の夏休みも多分こんな感じでしょう。

 

この4連休に東京オリンピックが始まる予定だったことを考えると、皮肉なものです。

 

もともと、休日は家に引きこもっていることが多いので楽しいといえば楽しいですが、さすがに飽きてきました(^_^;)

 

一人で引きこもっていると「暇だなぁ」と思うことが多いです。

やはり自分一人でいると興味の幅も限られるし、刺激がないので「暇」と感じてしまうんですね。

 

時間があるならこれを機に何か勉強でもしようと、外国語や歴史、苦手だった物理や統計などの勉強に手を出したりもしましたが、続かなくなってしまいました笑

やっぱり、仕事で使うとか、歴史スポットに行くとか、何かきっかけがないと私の場合は難しいようです。

 

コロナで外出自粛の日々が続き、孤独が深まったような気がします。

オンラインで他人とコミュニケーションを取ることも、仕事以外ではあまりしていません。

もともと人と話すのが好きな人は繋がれるかもしれませんが、話すのが苦手な人はますます孤独になっている気がします。

 

こういう生活になってみて、改めて「他人から刺激を受けることの大切さ」が分かりました。

刺激がない分、楽ではあるのですが、いつまでもこのままではさすがにつまらないですね(^_^;)

毎週日曜日には教会に行っていて、信徒さんや牧師さんとお話しするのでまだそこは救いでしょうか。

 

もう少し頑張って、友達にLINEでもしてみようかな...

オンライン飲みは、私はあんまりやりたくないです笑

呑むならひとりで呑みたい笑

 

 

☆お祈り☆

天の神様。

今日も私を生かしてくださって、ありがとうございます。

コロナ禍のなかで孤独を深めている人々を顧みてください。

そして私たちが繋がり合い、助け合うことができるよう、力をお与えください。

日々リスクと向き合いながら懸命に働く医療従事者の方々に感謝いたします。

彼らに御守りと祝福、力をお与えください。

この祈り、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げします。

アーメン。