毎日お祈りをしたいけれど…
今朝も、外を散歩してきました☆
小雨が微妙に降る中、朝も早かったのでほとんど人はおらず、その静かな朝の空気がまた良いなと思いました。
今日は「お祈り」について書きたいと思います。
キリスト教信者としては「祈る」ことはとても大切です。
祈りは色々な場面で行われます。
日曜日の礼拝で牧師さんや司式者の方と一緒にする祈り、礼拝とは別の祈祷会で信徒の方々と一緒にする祈り、食前の祈り(あんまりしたことないけど笑)、家で一人でする祈りなど。
どれも違った意義を持っていますが、やはり自分の信仰を深めるのに最も有効なのは、自分一人でするお祈りだと思います。
身の回りや世界、自分自身のことに思いを馳せて、神様にお祈りをする時間が持てるとしたら、大きな恵みです。
私は、一人暮らしのときは毎朝聖書を読み(これはサボるときもある)、お祈りをしていました。
でも今はノンクリスチャンの同居人がいて、なかなか落ち着いてお祈りをすることが難しくなってしまいました。
起床時間が違うので、彼が寝ている間にしてみたりしたのですが、彼に見られていないか気になってしまい、どうも落ち着いてできないのです。
彼がキリスト教を信仰しているとは思いませんが、礼拝には一緒に来てくれるので、もし私が祈る姿を見ても嫌な気はしないでしょう。
そもそも、お祈りは恥ずかしいことでも何でもないので、私も人目は気にしなくて良いはずなのですが、やはり何だか恥ずかしい気がしてしまいます。
私はとてもシャイな性格で、写真を撮られるのも苦手だし、人に聞かれたらと思うと恥ずかしくて家で鼻歌も歌えないのです(音痴ではないはずですが)。
そういうわけで、最近だんだんとお祈りをしなくなってしまい、これはいけないと思っていました。
そして編み出した(?)のが、ブログ上でお祈りをする方法です。
パソコンに向かっていれば、傍目からは何をしているのかわかりません。
もしこのブログを見てくださる方がいて、私の祈りが目に止まって、少しでも共に祈るような気持ちになってくださればとても嬉しいです。
あと、もし「祈るって何?何を祈ったら良いかわからない」という方がいれば、一例として参考になるかもしれません。
キリスト教のお祈りには一応テンプレートがあります。
具体的には、最初と最後に言う言葉がだいたい決まっています。
もちろん、テンプレートなんて無視していても神様は変わらず聞いてくださると思いますが、特に初心者なら「自由にやる」というのが一番難しくて、形式が決まっている方が安心だと思うのです。
私も最初は全然よくわからなくて、教会の祈祷会で信徒の方の見よう見まねで覚えました。
ネットで調べても、そんな基本的なところまで解説しているサイトがなかったので。
お祈りをしたいと思っていても、生活スタイルなどの原因でしづらいこともあるかと思います。
お祈りのやり方に決まりはなく、神に祈る心さえあればどんな場所や形式でも構わないと思っています。
大事なのは、毎日続けることですね!
☆お祈り☆
天の神様。
今日も私を生かしてくださって、ありがとうございます。
今朝、静かな時間を与えてくださり、ありがとうございます。
コロナの感染拡大が続いております。
たくさんの命が失われたことを思うと、心が痛みます。
今もなお感染の危険にさらされながら生活しなければならないことを考えると、不安です。
仕事がなくなり、生活が脅かされている方がたくさんいます。
どうか、必要な支援が速やかに届きますように。
私にできることがあれば、どうか用いてください。
不安と悲しみの中にあっても、神様が最も良い道を用意してくださっていることを信じることができますように。
御心が行われるために、些細なことでもどうか私を用いてください。
この祈り、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げします。アーメン。