休めない人
こんにちは(^○^)
もうすぐクリスマスですね*・゜゚・*:.。..。.:*・’(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
今年はどのように過ごされますか?
私は今年は教会で過ごすことができるので、今からとても楽しみです!
教会でのクリスマスについても、ブログでご紹介したいと思っています。
さて、私と弟は虐待を受けたAC(アダルトチルドレン)なのですが、多かれ少なかれ共通している点があります。
それは「休むのが下手」ということ。
私たちはいつも落ち着きなくソワソワして動き回り、「のんびりする」とか「自分の好きなことをして過ごす」というのが苦手です。
こういう人は、働き者の日本人に結構多いのかもしれませんね。
それは「勤勉」とか「活躍している」とか、ポジティブな言葉で表現されることが多いけれど、いつしか内面がボロボロになってしまうこともあるのです。
弟は愛に飢えていて、他人に必要とされたくて頑張るというタイプです。
私は少し違っていて、自己中なので他人は正直どうでもいいのですが、自己実現のためにひたすら努力するタイプでした。
高校時代は部活を二個掛け持ちし、部長も務め、成績トップの優等生を目指していました。プログラムで海外にも行かせてもらいました。高校生活は、全てが勉強か部活で塗りつぶされました。良い先生や友人たちにも恵まれ、とても充実した幸せな高校生活でした。
でも、今から振り返れば、全ての原動力は強烈な自己否定感情であったと思います。
自分はもともと頭が悪いし、人間的にも腐りきっているから、努力でなんとかできる部分は最大限やろう。そういう気持ちでした。
成績はクラスでトップではあったけれど、地頭が良くないので常にキープすることはできず、ランキングが落ちるとやはり居場所の無さを感じていました。進学校だったので、成績が良ければ褒められるけれど、モチベーションの低い人や成績が下がった人には存在価値がないと、私は勝手に思い込んでいました。
今ではだいぶ考え方は矯正されましたが、それでも何もせず休んでいるような日があると、自分には何の存在価値もないのではないかと思ってしまうことがあります。
働くことや目標のために努力することは素敵なことだけれど、人が生きる理由ではない。今ならそんな風に考えることができるので、少しだけ進歩はしているかもしれませんが。
脇目も振らずがむしゃらに進む人は輝いて見えるけれど、人間としては偏った姿と言わざるを得ません。
よそ見をせず、一つの目的に向かって進めば確かに効率は良いでしょう。しかし、そこには必ず見えていないものや見ないようにしているものがあって、その代償は多かれ少なかれ払うことになるのです。
高校生の時だって「何のために勉強するんだろう」と疑問に思ったり、こんな勉強や学校は嫌だと感じたりすることができる子の方が、がむしゃらに努力するただの操り人形みたいな優等生より、何倍も深い人間性を持っていると思うのです。
学校としては進学実績を出したいという思惑があったりして、努力が最も良いものだという価値観を植え付けがちになってしまうのだと思います。
でも実際、先生たちはは皆とてもいい人たちで、生徒たちの能力を伸ばすために日々邁進されています。ただ勉強だけできる人間にならないように教育してくださっていたはずだし、がむしゃらに結果を追い求めることが最善だと、私が勝手に思い込んでいただけだと思います。
でも子どもは周囲の影響受けて思い込みやすいものです。経験が少ないために視野が狭いのも仕方のないことです。高校生の時でなくてもいいから、偏った考え方を矯正できるものにいつか出会った方がいいと思います。そうでなければ、いつか折れてしまうでしょう。
私は大学でひとまず落ち着いて色々なことを考えることができたので、幸いなほうでした。まだ修行中ですけどね^^;
少し長くなってしまいましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^)
それでは良い一日をお過ごしください🚩