今日もおつかれさまです!

のんびりと、でも着実に生きたい

God’s Overpowering Purpose(2020 1/24)

 God’s Overpowering Purpose

I have appeared to you for this purpose…  ACTS 26:16

The vision Paul had on the road to Damascus was not a passing emotional experience, but a vision that had very clear and emphatic directions for him. And Paul stated, “I was not disobedient to the heavenly vision” (Acts 26:19). Our Lord said to Paul, in effect, “Your whole life is to be overpowered or subdued by Me; you are to have no end, no aim, and no purpose but Mine.” And the Lord also says to us, “You did not choose Me, but I chose you and appointed you that you should go…” (John 15:16).

When we are born again, if we are spiritual at all, we have visions of what Jesus wants us to be. It is important that I learn not to be “disobedient to the heavenly vision” — not to doubt that it can be attained. It is not enough to give mental assent to the fact that God has redeemed the world, nor even to know that the Holy Spirit can make all that Jesus did a reality in my life. I must have the foundation of a personal relationship with Him. Paul was not given a message or a doctrine to proclaim. He was brought into a vivid, personal, overpowering relationship with Jesus Christ. Acts 26:16 is tremendously compelling “…to make you a minister and a witness….” There would be nothing there without a personal relationship. Paul was devoted to a Person, not to a cause. He was absolutely Jesus Christ’s. He saw nothing else and he lived for nothing else. “For I determined not to know anything among you except Jesus Christ and Him crucified” (1 Corinthians 2:2). From My Utmost for His Highest Updated Edition

Bible in One Year: Exodus 9-11; Matthew 15:21-39

 

WISDOM FROM OSWALD CHAMBERS

God does not further our spiritual life in spite of our circumstances, but in and by our circumstances.

from Not Knowing Whither, 900 L

 

Words and Phrases

overpowering:圧倒的な

passing:一時の、束の間の

in effect:実際に

subdue:征服する

attain:(努力して)成し遂げる

assent:同意、賛同

doctrine:教義、主義、理論

proclaim:宣言する

compel:強要する

crucify:磔にする

 

⭐︎ポイント⭐︎

aimpurposeの違い(ロングマン英英辞典より)

aim: something you hope to achieve by doing something

        ex)The main aim of the course is to improve your writing.

purpose:what is intended to achieve

        ex1)The purpose of this meeting is to elect a new chairman.

        ex2)The purpose of conducting a business is to make money.

 

今回の文章では聖句の引用部分でaimpurposeという語が連続して出てきます。何が違うんだろうと思って調べてみましたが、実際かなり似た意味っぽいですよね笑。

ただ、aimよりもpurposeの方がより現実的な目的という感じがします。確かに研究の目的はaimと訳すことが多いかもしれません。aimは結果的に果たされなくても許されるかもしれないですが、purposeが叶えられないのはまずい。ビジネスを始めたのに利益が出なかったら、会社存続の危機ですからね。

 

“Your whole life is to be overpowered or subdued by Me; you are to have no end, no aim, and no purpose but Mine.”の聖書箇所がどこなのか探せなくて、自分なりに「あなたの生涯はわたしによって打ちのめされるか、征服されるべきです。あなたは私のものであり、あなた自身には滅びも、意図も、目的もありません」と訳してみましたが、合っているでしょうか

 

<日本語訳>

神の圧倒的な目的

 

「私はこの目的のためにあなたに現れました 使徒言行録 第26918

パウロがダマスカスへの道で見た啓示は、一時的な感情的な経験ではなく、彼にとって非常に明確で強調された方向性を持つ啓示でした。そして、パウロは「私は天よりの啓示にそむかず」と述べました(使徒言行録26:19)。主はパウロに、「あなたの生涯はわたしによって打ちのめされるか、征服されるべきです。あなたは私のものであり、あなた自身には滅びも、意図も、目的もありません」と言われました。そしてこうも言われました。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。」(ヨハネによる福音書15:16

私たちが生まれ変わったとき、もし私たちが霊的であれば、イエスが私たちに望んでいることについての啓示があります。「天からの啓示に逆らう」ようにならないことを学ぶのが重要です。必ず達成できると信じて疑わないことです。神が世界を贖われたという事実に心からの同意を与えることも、イエス様がなされたことが聖霊によってあなたの人生で実際に起こることを知ることさえも十分ではありません。神との個人的な関係性の基礎を持たなければならないのです。パウロは宣言すべきメッセージや教義を与えられたのではなく、イエス・キリストとの生き生きとした、個人的で圧倒的な関係に引き込まれて行きました。使徒26:16では「わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。」と非常に強い説得がなされています。パウロは、原因ではなく主その人に捧げられました。彼は絶対的にイエス・キリスト服従する者となりました。彼は他に何も見ず、他に何のためにも生きませんでした。「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。」(コリントの信徒への手紙一22

 

オスワルドチャンバーズの知恵

神は私たちの状況にもかかわらず、私たちの霊的な生活を促進するのではなく、私たちの状況の中で、そして私たちの状況によってそれを促して下さる。

Not Knowing Whither,900 L

 

<聖書引用>

使徒言行録 第26918

「わたし自身も、以前には、ナザレ人イエスの名に逆らって反対の行動をすべきだと、思っていました。 そしてわたしは、それをエルサレムで敢行し、祭司長たちから権限を与えられて、多くの聖徒たちを獄に閉じ込め、彼らが殺される時には、それに賛成の意を表しました。それから、いたるところの会堂で、しばしば彼らを罰して、無理やりに神をけがす言葉を言わせようとし、彼らに対してひどく荒れ狂い、ついに外国の町々にまで、迫害の手をのばすに至りました。こうして、わたしは、祭司長たちから権限と委任とを受けて、ダマスコに行ったのですが、王よ、その途中、真昼に、光が天からさして来るのを見ました。それは、太陽よりも、もっと光り輝いて、わたしと同行者たちとをめぐり照しました。わたしたちはみな地に倒れましたが、その時ヘブル語でわたしにこう呼びかける声を聞きました、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのあるむちをければ、傷を負うだけである』。そこで、わたしが『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、主は言われた、『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。わたしは、この国民と異邦人との中から、あなたを救い出し、あらためてあなたを彼らにつかわすが、それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。

 

ヨハネによる福音書15916

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。」 

 

<感想>

今回のテーマは「神への絶対的服従」でした。宗教やキリスト教に馴染みのない人からしたらちょっと引いてしまう?ような内容だったかもしれませんね。

 

私は洗礼を間近に控えていて、この「神に全てを委ねる」という感覚を理解している途中の段階といった感じです。

 

不思議なことに、自分に今必要だと思う知識、知りたいと思うことや疑問に思うことに限ってピンポイントに情報が与えられるような気がしています。やはり神様は全部見ていらっしゃるのだなぁ…と思えてなりません。こういうことは今までに何度もあって、よく分からないなぁと思っていたことについて、聞いてもいないのに誰かが教えてくれたり、ドンピシャな内容の説教がメールで届いたり。ほんと、不思議ですね。

 

今回繰り返し出てきた「啓示(vision)」は霊的な体験ということでしょうが、実は私はよく分かっておらず、半信半疑です。大昔から今に至るまでたくさんの人が経験しているらしい?ので嘘ではないのでしょうが…(^_^;)

洗礼を受けたら啓示を見ることができるのでしょうか…わかりません。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました🌷

寒い日が続きますが、体調にはお気をつけてお過ごしくださいね(^^)

 

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