今日もおつかれさまです!

のんびりと、でも着実に生きたい

Intimate With Jesus (2020 1/7)

 

Intimate With Jesus

 

Jesus said to him, "Have I been with you so long, and yet you have not known Me, Philip?"  JOHN 14:9

 

These words were not spoken as a rebuke, nor even with surprise; Jesus was encouraging Philip to draw closer. Yet the last person we get intimate with is Jesus. Before Pentecost the disciples knew Jesus as the One who gave them power to conquer demons and to bring about a revival (see Luke 10:18-20). It was a wonderful intimacy, but there was a much closer intimacy to come: “…I have called you friends…” (John 15:15). True friendship is rare on earth. It means identifying with someone in thought, heart, and spirit. The whole experience of life is designed to enable us to enter into this closest relationship with Jesus Christ. We receive His blessings and know His Word, but do we really know Him?

 

Jesus said, “It is to your advantage that I go away…” (John 16:7). He left that relationship to lead them even closer. It is a joy to Jesus when a disciple takes time to walk more intimately with Him. The bearing of fruit is always shown in Scripture to be the visible result of an intimate relationship with Jesus Christ (see John 15:1-4).

Once we get intimate with Jesus we are never lonely and we never lack for understanding or compassion. We can continually pour out our hearts to Him without being perceived as overly emotional or pitiful. The Christian who is truly intimate with Jesus will never draw attention to himself but will only show the evidence of a life where Jesus is completely in control. This is the outcome of allowing Jesus to satisfy every area of life to its depth. The picture resulting from such a life is that of the strong, calm balance that our Lord gives to those who are intimate with Him. From My Utmost for His Highest Updated Edition

Bible in One Year: Genesis 18-19; Matthew 6:1-18

 

WISDOM FROM OSWALD CHAMBERS

There is no condition of life in which we cannot abide in Jesus. We have to learn to abide in Him wherever we are placed.

from Our Brilliant Heritage, 946 R

 

 

<Words and Phrases>

rebuke: 非難する

Pentecost: ペンテコステ

聖霊降臨祭:エスの復活・昇天後、集まって祈っていた120人の信徒たちの上に、神からの聖霊が降ったという出来事のこと、およびその出来事を記念するキリスト教の祝祭日。ー中略ー 日付は毎年異なるが、西方では五月初旬から六月上旬の日曜日、東方では五月初旬から六月下旬の日曜日に行われる。Wikipeiaより)

disciple: 弟子

identify: (他)見分ける/(自)同一視する、共鳴する(with...)

scripture:御言葉(聖書の中の言葉)

perceive: 認める、知覚する(→perception: 知覚、認識)

pitiful: かわいそうな、惨めな

picture: 具現されたもの、権化

abide in〜: 〜にとどまる 

 

⭐︎ポイント⭐︎

identifyという単語を"identify with 人"のように自動詞として使うと「誰かと共鳴する」「自分を重ねる、なりきる」という意味になるそうです。weblio辞書に面白い例文がありました。

 

ex) The audience quickly identified with the characters of the

 (観客すぐに劇中人物なりきてしまった.)

 

また、pictureは「絵、写真」という意味から派生して「目に見える形に具現化されたもの、姿形」といった意味もあるようです。今回も色々と勉強になりました...。



御言葉の引用①(ヨハネによる福音書14:5-14:10)

トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。

エスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。

ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。

エスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。

わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。

 

御言葉の引用②(ヨハネによる福音書 15:9-15)

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。

もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。

わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。

わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。


<日本語訳>

 

神と親密になる

 

エスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。ヨハネによる福音書 第14章9節

 

これらの言葉は、イエス様がピリポを非難するために言われたことでも、驚いて言われたことでもありませんでした。ピリポが神とより親密になることができるようにと、励ましてこのように言われたのです。

しかし、イエス・キリスト(=神)と親密になるのはとても難しいことです。ペンテコステの前に弟子たちは、イエスがサタンを征服する力を与えるとともに復活をもたらしたことを知っていました。(ルカによる福音書10:18-20を参照。)

それは素晴らしい神との親交でした。しかし、その後さらにもっと神と親密になる機会が訪れたのです。「...わたしはあなたがたを友と呼んだ...」ヨハネによる福音書 第15章15節)。

真実の友情とは大変珍しいものです。それは、思想、心および精神のレベルで誰かと共鳴することを意味します。私たちの人生の経験は全て、我々はイエス・キリストとのこの最も緊密な関係を結ぶことができるように計画されています。我々は主の天の恵みを受けて、御言葉を知っています。しかし、我々は主を本当に知っていると言えるでしょうか。

 

エスは「わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ」と言われました。ヨハネによる福音書 16:7)イエスは弟子たちが神にもっと近づくことができるようにと、自分との関係をあえて絶ったのでした。だから、弟子たちが自らの力で時間をかけて神に近づくならば、それはイエスにとっての喜びです。

聖書では「実を結ぶ」という言葉がよく使われますが、これはイエス・キリストとの深い関係を持つことの、目に見える結果という意味で用いられています。(ヨハネによる福音書15:1-4を参照)

 

一度イエス・キリストと親密になったら、我々は決して孤独ではなく、もはや人から理解されたり同情されたりすることを必要としなくなります。私たちは過度に感情的または惨めな存在として見られることなく、絶えず神に心を打ち明けることができます。

エスと本当に親密であるキリスト教徒は、自分自身をひけらかすのではなく、神の下で生きる一つの生命の証拠として、自己の存在を示します。これは、神が生命のあらゆる領域を深く満たしていることの結果です。

そのような生命体が生きている姿は、神が自らと親密な者に対して与えてくださる、強くて穏やかなバランスそのものなのです。

 

オズワルド・チェンバーズの知恵

人生の中で、イエス・キリストの下ににとどまることができない条件などありません。

どのような状況下に置かれようとも、我々は彼の下にとどまることを学ばなければなりません。

著書"Our Brilliant Heritage"(946R)より

 

<感想>

 

今回は「生きる意味について」がテーマになっているように思います。

 

神と親密になるのは一生をかけて取り組むべきことだと思いますが、信仰のある人生とは一体どのように生きることなのか、語りかける内容でした。

 

The Christian who is truly intimate with Jesus will never draw attention to himself but will only show the evidence of a life where Jesus is completely in control. 

(イエスと本当に親密であるキリスト教徒は、自分自身をひけらかすのではなく、神の下で生きる一つの生命の証拠として、自己の存在を示します。)

 

この言葉は心に響きましたね...。これこそが真の謙虚さなのではないでしょうか。神を証しする一つの生命として生きる。そんな人生にしたいものです...。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

今日も素敵な一日をお過ごしくださいね♫

 

小型聖書 - 新共同訳