今日もおつかれさまです!

のんびりと、でも着実に生きたい

The Dilemma of Obedience(2020 1/30)

The Dilemma of Obedience


Samuel was afraid to tell Eli the vision. 1 SAMUEL 3:15
God never speaks to us in dramatic ways, but in ways that are easy to misunderstand. Then we say, “I wonder if that is God’s voice?” Isaiah said that the Lord spoke to him “with a strong hand,” that is, by the pressure of his circumstances (Isaiah 8:11). Without the sovereign hand of God Himself, nothing touches our lives. Do we discern His hand at work, or do we see things as mere occurrences?


Get into the habit of saying, “Speak, Lord,” and life will become a romance (1 Samuel 3:9). Every time circumstances press in on you, say, “Speak, Lord,” and make time to listen. Chastening is more than a means of discipline— it is meant to bring me to the point of saying, “Speak, Lord.” Think back to a time when God spoke to you. Do you remember what He said? Was it Luke 11:13, or was it 1 Thessalonians 5:23? As we listen, our ears become more sensitive, and like Jesus, we will hear God all the time.


Should I tell my “Eli” what God has shown to me? This is where the dilemma of obedience hits us. We disobey God by becoming amateur providences and thinking, “I must shield ‘Eli,’ ” who represents the best people we know. God did not tell Samuel to tell Eli— he had to decide that for himself. God’s message to you may hurt your “Eli,” but trying to prevent suffering in another’s life will prove to be an obstruction between your soul and God. It is at your own risk that you prevent someone’s right hand being cut off or right eye being plucked out (see Matthew 5:29-30).


Never ask another person’s advice about anything God makes you decide before Him. If you ask advice, you will almost always side with Satan. “…I did not immediately confer with flesh and blood…” (Galatians 1:16). From My Utmost for His Highest Updated Edition
Bible in One Year: Exodus 23-24; Matthew 20:1-16


WISDOM FROM OSWALD CHAMBERS
We never enter into the Kingdom of God by having our head questions answered, but only by commitment.
from The Highest Good—Thy Great Redemption, 565 R 

 

<聖書引用>

旧約聖書 サムエル記第3章7-18節

7 サムエルはまだ主を知らず、主の言葉がまだ彼に現されなかった。

8 主はまた三度目にサムエルを呼ばれたので、サムエルは起きてエリのもとへ行って言った、「あなたがお呼びになりました。わたしは、ここにおります」。その時、エリは主がわらべを呼ばれたのであることを悟った。

9 そしてエリはサムエルに言った、「行って寝なさい。もしあなたを呼ばれたら、『しもべは聞きます。主よ、お話しください』と言いなさい」。サムエルは行って自分の所で寝た。

10 主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」。

11 その時、主はサムエルに言われた、「見よ、わたしはイスラエルのうちに一つの事をする。それを聞く者はみな、耳が二つとも鳴るであろう。

12 その日には、わたしが、かつてエリの家について話したことを、はじめから終りまでことごとく、エリに行うであろう。

13 わたしはエリに、彼が知っている悪事のゆえに、その家を永久に罰することを告げる。その子らが神をけがしているのに、彼がそれをとめなかったからである。

14 それゆえ、わたしはエリの家に誓う。エリの家の悪は、犠牲や供え物をもってしても、永久にあがなわれないであろう」。

15 サムエルは朝まで寝て、主の宮の戸をあけたが、サムエルはその幻のことをエリに語るのを恐れた。

16 しかしエリはサムエルを呼んで言った、「わが子サムエルよ」。サムエルは言った、「はい、ここにおります」。

17 エリは言った、「何事をお告げになったのか。隠さず話してください。もしお告げになったことを一つでも隠して、わたしに言わないならば、どうぞ神があなたを罰し、さらに重く罰せられるように」。

18 そこでサムエルは、その事をことごとく話して、何も彼に隠さなかった。エリは言った、「それは主である。どうぞ主が、良いと思うことを行われるように」。

 

マタイによる福音書(第5章29-30節)

もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。

もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。

 

<Words and Phrases>

sovereign:主権

mere:単なる

occurrence:出来事

press in:凹ませる

chasten:懲らしめる、(苦しみを与えて人を)鍛える

providence:摂理、神の意思

at one's own risk:自分の責任で

confer:授与する

confer with:協議する

side with:肩を持つ、加勢する

 

⭐︎ポイント⭐︎

His hand at workという部分は、意味はわかるのですが訳すのが難しかったです。大文字で始まるHisとかHim、Heは神様を意味しています。だから「神の御業(みわざ)」と訳すことにしました。また、最後の聖書引用箇所の"flesh and blood"というのは自分の血縁親族のことだと思います。

 

<日本語訳>

服従のジレンマ


サムエルは朝まで寝て、主の宮の戸をあけたが、サムエルはその幻のことをエリに語るのを恐れた。(サムエル記 3:15)


神は決して劇的な方法で私たちに語るのではなく、誤解されやすい方法で語ります。そして「これが(本当に)神の声なのかしら?」と言います。預言者イザヤは「強いみ手をもって」主が彼に語りかけたと言ったが、それは神が状況をコントロールしていたという意味です(イザヤ書8:11)。神ご自身のみ手がなければ、私たちの生活に触れるものは何もありません。私たちはそれを神の御業とみなすか、それとも単なる偶然の出来事としか思わないのでしょうか。


「主よ、お話しください」と言う習慣を身につければ、人生はロマンスになります(サムエル記3:9)。状況があなたをへこませるときはいつも「主よ、お話しください」と行って聴く時間を作ってください。試練は単なるしつけの手段ではありません。試練を通して「主よ、お話しください」と言わされるのです。神があなたに語りかけたときのことを思い出してください。神が何と仰っていたか思い出せますか?このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」(ルカによる福音書11:13)でしたか、それとも「どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。」(テサロニケ人への手紙5:23)でしたか?聴くに従って耳が敏感になり、イエス様のようにいつも神様の声が聞こえるようになります。


「エリ」に神が私に示したものを伝えるべきなのでしょうか?これで私たちは、従順のジレンマに襲われます。私たちは未熟なやり方でしか神の御意思を受け取ることができず、「エリにはこのことを隠しておかなければならない」と考えます。ここで言うエリとは、あなたの最も身近な人間を表す比喩です。神はサムエルにエリに言うようにとは言いませんでした。彼は自分でそれを決めなければならなかったのです。あなたへの神のメッセージは、あなたの「エリ」を傷つけるかもしれない。しかし、他の人の苦しみを防ごうとすることは結局、あなたと神の関係の障害になるでしょう。誰かの右手が切断されたり、右目が引き抜かれたりするのを防ぐのはあなた自身の責任です。(マタイによる福音書5:29-30を参照)


神が彼の前にあなたに決めさせることについて、他の人の助言を決して聞かないでください。助言を求めるならば、あなたはほとんど常にサタンに味方するでしょう。異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、血肉に相談もせず...」(ガラテヤ人への手紙1:16)

 

オスワルドチャンバーズの知恵
私たちが神の王国に入るのは、頭で考えて質問に答えることによってではなく、行いによってのみです。

<感想>

エリに神からの試練が降りかかるという不吉な啓示を、恐れのあまり主人であるエリに伝えることができなかった僕サムエル。確かに、常識的に考えればそんなことは伝えられないと思うのが当然かもしれません。

 

しかしここでは、マタイによる福音書第5節29-30節を引用して、その人が地獄に落ちないよう、自分の責任においてむしろ厳しいことを伝えるべきであると説いています。

 

試練は単なる苦しみではなく、人を大きく成長させるものですね。試練へと向かっていく姿は常識とはかけ離れた、異常なものに映るかもしれません。だから、他人には相談しないようにと言っているのでしょう。しかし、その後にある思いもよらない恵みや救いを考えれば、試練にもありがたく預かるべきなのだと思います。

 

しかし、個人的には「○○しないと地獄に落ちるよ。あなたのために言ってるの。」という人がもしいたら怪しいし、拒絶したくなってしまいます。

 

その人の考えの押し付けか、それとも神からの啓示なのか、線引きは難しいと思います。しかし、神様はそんなに表面的な何かで人を地獄に落としたりするでしょうか...?

まだまだ、わからないことだらけですね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

まだまだ寒い日が続きますね。コロナウイルスの流行も止まる所を知らないようですが、どうか暖かくしてお過ごしください。あなたの健康が守られますように🙏

 

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