今日の聖書:出エジプト記 第16章(マナ)
今日は旧約聖書の出エジプト記の第16章、マナという章を読みました。
マナというのはパンの一種で、小麦を練って焼いたもののようです。画像検索してみたらこんな感じでした。おいしいのかな…?
なんかあれみたい。雷おこし(笑)でもあんまり味はなさそうですね。
エジプトから脱出してきたイスラエル人たちが飢えないように、神様がなんと空から(直接!)マナと呼ばれる食べ物を降らせて与えた、というもの。
めっちゃお腹空いてるとき、パンが空から降ってきたら嬉しいですね笑
以下、引用します。
イスラエルの人々はそれを見て互に言った、「これはなんであろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。主が命じられるのはこうである、『あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれを集め、あなたがたの人数に従って、ひとり一オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取りなさい』と」。
イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。モーセは彼らに言った、「だれも朝までそれを残しておいてはならない」。しかし彼らはモーセに聞き従わないで、ある者は朝までそれを残しておいたが、虫がついて臭くなった。モーセは彼らにむかって怒った。彼らは、おのおのその食べるところに従って、朝ごとにそれを集めたが、日が熱くなるとそれは溶けた。
毎日必要な分だけを与える、というのが意味深長だと思います。
主の祈りにも「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という言葉がありますが、神様のお恵みは毎日、その日の分だけ与えられるのであって、未来の分までまとめてとか、多めにもらっておいて蓄えようとか、そういうことはありえないのです。
ともすれば私たちはいろいろと計算をして、未来に備えて蓄えようとします。たとえ今必要がなくても後で使うかもしれないから、多めにあった方が安心だからと、要りもしないものを求めます。そして蓄えようとすると、もっともっと欲しくなって、欲望がどんどん膨らんでしまいます。
そうやって多めに取ることで、本当に必要な人から奪ってしまうことも、時にはあるかもしれません。
この話、私はけっこう頭が痛いです。卑近な例ですが、私はお買い物に行くと、安いからとか後で要るかもしれないからとかいう理由で、いま本当に必要でないものまでたくさん買い込んでしまうのです。そして、結局使い切れずに持て余してしまい、捨てて無駄にしてしまったこともあります。反省反省…(~_~;)
備えもある程度必要だとは思いますが、必要な時に必要なものを求めるのが一番良いですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました⭐️
Have a nice day(^_-)-☆