人嫌いの行き着く先
こんにちは(^^)
今日はどんな一日でしたか?
突然ですが、私は人と話したり接したりするのが本当はあまり好きではありません。
周りの人にはバレないように、普段は人当たり良くするようにしていますし、人と関わるときは相手を決して傷つけないように気をつけるようにはしています。
人と話すのは嫌いじゃないですが、一日のうち何時間かは一人きりで過ごせないとストレスでパンクしそうです。
おそらく、一人でいる限り誰にも傷つけられることがないから、安心するのだと思います。
人間の心が一番恐ろしいと思うから、一人で籠るお家はまるで動物の安全な巣のようです。
ところで、人は一人では生きられません。
いくら休日に一人きりで一日中過ごすことにしたとしても、他の人間の存在なしに成り立つ一日なんてあるでしょうか。
テレビをつければ人間の姿、イヤホンをつけて音楽を聴けば人間の声、歌じゃなくたって、たとえボカロの歌だって誰かが作ったり演奏したりしているはずです。
街へ出れば溢れんばかりの人、人、人。
スマホで誰かが書いた文章を読み、LINEで誰かから連絡が来る。
一人でゲームをしていたって、そのゲームだって誰かが作ったものだし、だいいち主人公は人間じゃないですか?
家でずっとPCに向かっている、リアルな友達がいない人がいたとしても、その人はPCを通してたくさんの人と触れ合っています。多分人が好きなんだと思います。
生きている限り、人との関係は絶対になくならない。
そんな「一人きり」の一日の終わり、ベッドで一人横になっていると、もうこのまま明日が来なければいいのに、と思うことがあります。
明日目が覚めなければいいのに。
そうすれば、この無限に続く人との関係から自由になれるのに、と。
自分の存在が消えて無くなることは怖いとも悲しいとも思わないし、もし明日そうなっても、それはそれでいいような気がします。
私はまだこれといって大切なものをまだ何も持っていないから、そんなことが言えるのでしょうか。
私がこの世からいなくなったら、まだ私は若いので、周りの人は「早すぎる」と言って悲しんでくれるかもしれません。
でも、人の人生の長さはみな違います。
確かに100年を基準としたら「早すぎ」になるかもしれませんが、たとえ「早すぎ」ても、その短い人生が軽くて薄っぺらいということはないと思います。
ネズミの寿命は一年ほどだそうです。でも一生に打つ心臓の鼓動は人間やゾウと同じ数なんだそうです。そしてそこには多分、寿命の長さに関わらず同じだけの「生きた」という実感があるのだと思います。
私は私なりにいろいろなことを経験させてもらったし、それなりに満足している。だから、今ここで人生が終わってもいいし、このまま続いていってもいい。どっちでもいいなぁ、と思っています。
人嫌いにも波がありますが、人嫌いが頂点に達する夜、私は精神的にちょっと危なくなっているな、と感じます。人間の存在を徹底的に避けようとしたら、そこにあるものは死です。
ある時、ショックなことがあって、こんな状況でも生き続けなければいけない理由がわからなくなりました。
家族と呼べる人がいない私は、誰からも見放されているように思えました。
私は死に惹きつけられ、その暗黒に吸い込まれそうになりました。
実際、私一人いなくなっても誰も気にしないような気がしました。
そして私は一人、布団の中で泣きました。
その時から、私は神様を信じることにしました。
ただ一つだけ、私を常に見ていて、決して見放さず、私の生を肯定してくれる存在として。
Have a nice day✴︎(^_−)−☆