今日もおつかれさまです!

のんびりと、でも着実に生きたい

「女よ、私とあなたは、何なのですか」

こんにちは(^○^)

今日は聖書について、印象に残った御言葉(みことば)があったのでご紹介します。

 

三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」といった。

「カナでの婚礼」(ヨハネによる福音書2章1~5節)

 

エスが水をぶどう酒に変えるという奇跡(しるし)を行う、有名な「カナの婚礼」の話の冒頭部分です。

 

ここでの婚礼は、イエスの婚礼ではありません。イエスと母(マリア)は客として招かれただけでした。

 

だから、ぶどう酒が無くなろうとイエスたちには関係ないことなのですが、母親は「イエスが神から託された力を使えば、ぶどう酒くらいすぐに調達できるに違いない。母の願いなら子は従うはずだ」という自分勝手な思いから、イエスをつっつきます👈

 

しかも、この言い方がちょっといやらしいです。「ぶどう酒、なくなっちゃった…」と言うだけで、あとは察してくれ、わかるでしょ、といった感じでしょうか。

 

そこで、イエスはきっぱりとこう言うのです。

婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」

 

私は毒親と暮らしていた頃、親のことを「あなた」と呼んだところ、平手打ちを食らったことがあります。そんな他人みたいな呼び方は許せない、と言うのです。

 

母親に対して「婦人よ」というのは、かなり距離を置いたスタンスです。そして、理不尽で自分勝手な要求にはいちいち対応できない、とはっきり言うのです。

 

しかも、ギリシア語の原文では、この部分は「女よ、私とあなたは、何なのですか。」となるそうです。

 

こんな言葉、一度でいいから毒親に放ってみたかった…!

聖書、恐るべしです。

 

そこで、母親は悟ります。母親の立場を利用して子どもに要求をのませることはできないのだと。そして、自分の願いではなくイエスの思いに委ねることにしたのです。これが「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」の意味です。(えらいお母さんですね)

 

でも結局、イエスは母の命令ではなく一人の女の願いとして要求を聞き入れ、水をぶどう酒に変える奇跡を行います。それは婚礼を盛り上げてみんなを楽しませるためであり、世界が暗くならないようにするためでした。やっぱり結婚式にはお酒がなくっちゃね。

毒親は、親の立場を利用して子どもにいろいろな要求をしてきます。産んでやったのだから、育ててやってるのだから、家に置いてやってるのだから、命令に従うのは当然のことだ。そう思っています。

 

でも、その人とあなたの関係は一体何なのでしょう。

 

全ての人間の価値は同じです。みんな、等しく尊い存在であるはずです。

 

ダメなものはダメでいいのです。受け入れなくていいのです。

 

あなたは大切な存在です。毒親に侵害される筋合いはありません。

 

一線を引きましょう。そして自分を守りましょう。

 

今日も、おつかれさまです☕️

良い一日をお過ごしくださいね。

 

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