今日もおつかれさまです!

のんびりと、でも着実に生きたい

子どもを産み育てるのは、罪深いこと

こんにちは。今日は特に冷えますね…❄️

でも寒いときにしか着ないようなモコモコの服は可愛いと思うし、湯たんぽで温まったり、お鍋を食べたり、冬にしかできない楽しいことってありますよね。私は寒いのがとても苦手なのですが、ポジティブにいきたいと思います(((o(*゚▽゚*)o)))

 

さて、私は「将来設計」としてありがちな、「○○歳で結婚して、子どもは○人作って…」という話を聞くと、ちょっと抵抗を感じてしまいます。

 

「子どもを作る」という表現が、なんか嫌なんだと思います。

 

子どもを産み、自分の好きな名前をつけ、好きなように育てるというのはとても罪深いことに思えないでしょうか。

 

閉ざされた家庭内では、親はあたかも創造主のように振舞うことができます。家の中でだけ、神様になるのです。実際、私の親は私にとって神に等しい存在でした。

 

確かに親は自分を産み、生育環境を作り、日々何かと世話してくれている絶対的で必要不可欠な存在ではありますが、だからと言って私やあなたという人間を無から創り出した訳ではありません。

 

実際には生殖行為をしただけであり、父母の天文学的な遺伝子の組み合わせから、この「自分」という存在が世界に生み出されたのは、何か大いなる存在が決めたからです。(それを「偶然」と呼ぶのも個人の自由ですが、少なくとも決めたのは親ではないはずです。)

 

頭で考えればわかることなのですが、やはりおかしいと思っていても従わざるを得ない状況というのはありますよね。頭で考えられればまだいい方で、支配されている状態にあっては自分で何か判断すること自体がまず難しいと思います。

 

私の家は親戚からも地域からも孤立していて、おかしな考え方が蔓延していても、それが間違っていると気づくことができませんでした。自分が育ってきた家庭のことしか知らなかったので、どうしても親を絶対的な存在としか見ることができなかったのです。

 

このように、毒親の家庭は閉鎖的であることが多く、不思議な磁場になっています。思考や感覚が麻痺状態になって、中にいる人はおかしさにあまり気づかず服従しているのです。

 

そんな特殊な状況を悪用して、神様になった気分で子どもを「創造」し、好きなように振る舞うことはとても罪深いと思います。

 

言っていることやしていることがどんなにおかしくても、子どもは実際に影響を受けてしまうのです。

 

罪深いからといって、子どもを産み育てるのがいけないとか、そういうことではないけれど、少なくともその罪深さをもう少し自覚したほうが良いと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

それでは今日も素敵な一日をお過ごしください(^○^)

 

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