キリスト教会に行ってみよう
こんにちは。今日も冷えますね…
風邪を引かないように、暖かくしてくださいね。
私はプロテスタントの教会に行っています。前は少しだけ、カトリックの教会に通っていました。
私自身は根っからのノンクリスチャンで、キリスト教徒はおそらく親戚に一人もいないと思いますし、ミッション系の学校に通ったこともなく、キリスト教の知識もほぼゼロでした。
それなのに私が教会に通おうと思ったのは、毒親の支配から本当の意味で自由になりたかったからです。
毒親育ちの私にとっては親が絶対的な存在でした。いまでは物理的に毒親と離れ、連絡も取っていないので支配から脱していて、おかげさまで親に支配されているという意識も薄れています。
しかし、支配者のいなくなった私の心には大きな穴が空いたままでした。
毒親から離れることは、同時に居場所を捨てることを意味します。寂しさを癒すために、恋人とまた共依存に陥ったり、仕事人間になって身体を壊したりする人もいて、これは無視できない問題だと思います。
何れにしても、人は何か精神的な拠り所がないと生きていけないのだと思います。どんなに強い人でも、何らかの価値観に支配されているのではないでしょうか。
神様を信じることで、逆に他の何者にも支配されなくなる。そういう理屈で、神様を信じることにしています。
私が通っている教会は、素敵な方がたくさんいらっしゃって、紹介したいエピソードがたくさんあります。最終的に自分に合うところが見つかって幸いでした。
私が通っているところは、一言で言うと「普通の教会」です。
大きくも豪華でもなく、どちらかと言うと地味な外見で、こぢんまりとしたアットホームなところです。長い歴史がある教会ですが、だからといって歴史ある外見ということもなく、最近建築士の教会員の方が設計して建て直したそうです。私は雰囲気がとても好きですが。
人数もあまり多くなく、ほとんどが近隣住民です。ただ、引越しによりわざわざ電車で毎週来ている方もいらっしゃいます。
場所柄かもしれませんが、教会員さんはお年寄りが多く、若い人がたまにいると思ったらクリスチャンホームで代々クリスチャン、という方だったり。やはり教会というのは敷居の高いところで、ノンクリスチャンからいきなりクリスチャンになる人は少ないのかなぁ、とか思ったりします。中の人はとてもオープンなので、敷居の高さを感じる必要は全然ないんですけどね。
教会の活動内容や主義もオーソドックスで(多分)独特な部分はあまりないと思います。
つまり、どんな側面から見ても「普通の」、素敵な教会に出会うことができました。本当に良かったです。毒親から自由になってもカルトにハマってしまったら元も子もないですからね。
毒親から本当の意味で自由になって、自立して歩んでいくために、信仰を持つというのは一つの解決策だと思っています。
日本ではクリスチャンは少数派なのですが、キリスト教が毒親育ちには適していると思う点が多くあるので、興味のある方が一歩踏み出しやすいように、微力ながら情報を提供できればいいな、などと考えております。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
Have a nice day (^-^)/