汝の敵を愛せよ
こんにちは。
最近空気が乾燥してきているので、水分を摂って、風邪を引かないようにしてくださいね☕️
私はなぜ親からあんなにいじめられたのだろう、と考えることがあります。
答えは出ませんが、最近私なりに考えたことがあります。
おそらく、毒親と呼ばれる人は、その親も毒親で、もしかしたらそのまた親も毒親で…と代々毒親の家系です。だから、幼少期に自分も家でいじめられ、要求を聞いてもらえず、辛い思いをしたのだと思います。
もっとも、私の親は過去について自分からはほとんど語らず、尋ねるとキレられるので絶対に聞かないようにしていました。だから親の過去については私が勝手に推測しているだけですが。
そんな毒親にとって、子どもは生まれた時から敵なのだと思います。
幼い姿を見るだけで過去の辛い記憶や欲求不満がフラッシュバックし、自分は要求を叶えてもらえなかったにも関わらず、子どもは素知らぬ顔で要求をぶつけてくる。
以前、虐待死のニュースを見ていたときに親が「赤ちゃんはお母さんと二人きりで、死と隣り合わせだ」と言っていて、意味がわかりませんでしたが、キレられると困るので尋ねることもできませんでした。多分、身体が弱い赤ちゃんは生命を落としやすい、というニュアンスではなかったと思います。
今ならなんとなくわかる気がします。
生まれただけで敵意の的になる赤ちゃんと自分の二人きりで、しかも赤ちゃんは弱い。生命を奪うことも難しくはないし、世話を怠るだけで危険な状態にすることも可能です。親は、幼い子どもにとって生殺与奪の権利を持っているのです。
そんな中で、殺しもせず、普通に生かしてやっているだけで相当な愛なのだから、毒親は感謝されてしかるべきなのかもしれません。
それなのに、毒親に対してもっと愛して欲しいとか、毒を吐かないで欲しいとか言うのは無理な要求なのかもしれません。
しかし、私の親は愛情のない親ではありませんでした。むしろその逆で、子どもを自分の所有物として、べったりとした自己愛を無限に注いでくる親でした。そして、身体的・精神的暴力を使って心を支配してきました。
おそらく、私の親は人間や社会を憎んでいたのだと思います。
そんな状況で新しく子どもが生まれてきても、憎しみがまさってしまい、一人の人間として愛することができない。だから、彼女は自分の一部、つまり自己愛として愛することを選びました。
自己愛はとどまるところを知りません。それを「あなたのため」「教育のための人格矯正」と言って愛情とすり替えて、支配的関係の中で押し付けてきたのです。
私はその家庭の中で、ギリギリ満足できる衣食住を与えられ、身体は大人になりました。
愛に飢えている感覚もなく、むしろ自分はとても愛されていると思っていました。
しかし、人間扱いされていませんでした。
聖書に「汝の敵を愛せよ」という有名な言葉があります。
普通の人間には、そんなことは到底できません。
毒親が自分の子どもを愛することは、敵を愛することに等しく難しいことなのだと思います。
毒親のことで苦しんでいらっしゃる方の、親子関係が少しでも良くなりますように。
そして、暴力から逃げて安全に生活できますように、お祈りします。